中国安徽省南部は、古くから「徽州(きしゅう)」とよばれている。
徽州には、日本とよく似た風景の場所であり、農村風景を見ていると日本の農村と見間違うほどである。その風景の中に実に多くの明代からの古い住居が残されている。
徽州民居の外観は白壁で高い外壁で囲まれ、正面中央にある大門以外の開口部は小さく、少なく、閉鎖的な表情をしている。大門をくぐり住居内に入るとすぐに2階の屋根が切り取られた「天井」といわれる部分から光が差し込んでくる。屋根は無いから雨は住居内に落ちてくるいわゆる中庭のようなところである。この中庭を中心に諸室が配置されている。内部の構造は外観から見る組積造とは異なり、木造軸組構造が自立している不思議な内観をしている。又、中庭まわりの建具には精巧な彫刻が施され、細密につくられた印象のする住居内部である。
「神秘古村」とある村の道標
環秀橋(石橋は元代、上家は明代)
川のほとりにある美人掛(休憩用の椅子)
安徽民居の外観
天井
中庭
細密な彫りの持送り
建具の透し彫り
東舒祠
東舒祠内の木組み
長春大社 明代の建築
村内の小路
村内民居の外観
安徽省呈坎
1)「国宝」の村
呈坎は宋代建築2箇所、元代2箇所、明代建築23箇所、清代130箇所がある。
現存する安徽民居の中で、明、清代の建築が一番集中され残されている。
呈坎の古建築は他の所と異なっている。明と清代の建築の数が多いだけではなく、祠、民居、更楼(現代の治安室らしい)、石橋等の様々なものがある。三階建ての民居だけで、いま7軒残されている。特に、羅という人の官邸の石の鳥居、木の鳥居、高くて広い応接間、露天池(観賞用の魚飼う用)、鉄の扉、美人掛け(伝説では、呉の皇帝は寵愛の美人のため設計した庭の椅子、休憩用)、窓を隠す板、石彫刻、木彫刻、瓦彫刻、彩絵画などは著しい特徴を持っている。これほどの古い建築群は、黄山一番に数えられ「国宝村」とも呼ばれている。1995年5月に、呈坎村は安徽省人民市役所に省クラス歴史文化保護に指定された。多く保護されていたものは、全ては建築である。建築は人類文明を代表し、民族、国家の重要な伝統文化となり、歴史、文学、哲学、宗教、芸術、風俗習慣などと深いつながりがある。
2) 呈坎の建築の種類
呈坎の建築、設計者はほとんど村人である。その村に住んでいた人達は建築をした時に、建築の中に自分の感情と信仰を入れた。呈坎の建築は民居建築と公衆建築に分けられている。具体的に言えば、官吏の宅、商人の宅、宗教建築、教育建築および他の公衆建築がある。
公衆建築・環秀橋
町の東街と前後街の主な通り道。明代に作られた五穴(橋のデザイン、作り方)石作りの橋。記録によると、橋の上に建物が造ってあったが戦争で無くなった。橋は長さ26.65m、幅3.85m、川の水より4.55m高い。明代の改造で橋の中央にある建物を橋の西側に移設した。橋の上家は木造で、瓦の屋根をのせ、周りは壁が無く、両側に長い椅子を付けている。
この橋の由来について、ひとつ伝説がある。話は、「昔、村の中に、青年の夫婦が居た。村の中で、橋を作る要望があった。家はとても貧乏だったから、夫は村を離れて、商売に行った。そのあと、金持ちになったが、疲れすぎで死んでしまった。奥さんはこの橋を作って、記念にするために夫の名前で『環秀橋』と名を付けた。」という。
和有序的多村社区 呈坎
馬勇虎著より抜粋
日本語訳 張 麗霞