築300年近く経過する実家を見てほしいという連絡を受け、早速に現地に伺うことになった。
着いてまず驚く350坪程の大きな敷地の入口にヨシ葺の門があり、門より30m程の位置にひときわ大きなヨシ葺の主屋が建ている。小規模な住宅が密集する近郊の住宅地の中にあって異彩で、歴史的な風格を漂わせていた。
家の様子を尋ねてみると合掌つくりでヨシ葺きの屋根が変形し、時を追い変形が進んでいるとのこと。よく見ると棟が湾曲し、大きくねじれていることが見てとれた。後日、合掌の小屋組みを調査すると、ツシの天井は厚さ10㎝程の土塗りで固められ、その上に小屋を組み、ヨシが葺かれ土蔵のつくりに似た塗り込め型の小屋組みであることが判明した。わたしたちはこれまで多くの草葺きの民家を調査、又改修しているが初めて出会うめずらしい構造であった。その小屋組みの又首が折れ、それが原因で屋根の変形が進んでいることが判明する。まずは折れた又首の緊急補強を施し、屋根全体を改修することとなった。さらに調査を進めると又首の折れたヶ所は他に2ヶ所あり、又その断面もとても小さいため折損した部分のみの修復では今後同様の折損が発生すると判断し、小屋組全体を改修することになった。
着工前写真

棟が湾曲し、屋根が大きく変形している

屋根の西半分(写真左の部分)が陥没変形している



私たちは築200年前後の建築の修復に携わることが少なからずある。その修復計画を立てる中で時を刻む部材を建築の中に表現したいと思っている。それは長い年月を耐え立ちつづけた建築への敬意であると共に、積み重ねてきた時間を空間に表現してデザインしたいと思うからである。
K邸の場合、小屋組みで残した梁等は荷重を負担するものではないが、その存在は新たな小屋組みの中で時間をあらわすものとしてデザインされ安心を生んでいる。
一方、ひずんだ既存軸組の中に新たな軸組を入れ、さらに既存の梁を残したことからこれまでにない難工事であったが、熟練した職人たちの技に支えられ無事工事を終えています。
工事写真



既存の軸組みは残し、内側に新たな軸組みを配置して、新たな小屋組みを受け、その力を下階の柱に伝えている

既存の屋根勾配に合わせて小屋組み







完成写真


「関ヶ原合戦・島津の退き口と小林家」
K邸(小林家)のご先祖、小林新六郎は岐阜城主・織田秀信の家臣として関ヶ原合戦に参戦している。
岐阜城が落城したため、多良を通って領地の近江川瀬に帰る途中、背進する島津義弘隊と出合い、中山道の近江高宮まで道案内をしている。五僧峠では槍や刀を杖に谷を渡り岩場を登り、保月村では落ち武者狩りの土民に阻まれるなど、苦難の連続であったという。義弘は高宮を去る時、新六郎に軍忠状を渡し後日の証としている。


